5月29日、80歳になってしまった。
大学1年の春、母方の祖母が亡くなった。
朝一に大学に行き、当日の講義の先生の休講の有無を確認をしに掲示板を見に行ったら
自分の名前が貼ってあって、事務所に来るように!とあった。当時は、誰も携帯は
持ってないし、下宿屋の電話番号も下宿人には教えてもらえなかった。
事務所に行くと、母から電話があったそうで、母方の祖母が亡くなったので帰るように
とのこと。事務の方が 君が喪主だそうだね、帰省の交通費はあるかと聞いて下さった。
何とか手持ちのお金で祖母のうちまで帰れそうなので、講義は欠席して熊本駅へ向かった。
バス、国鉄、船、バスを乗り継いで、祖母の家に行き、通夜の喪主を務めた。喪服などない。
翌日、本葬ののち、近くの墓地に葬った。当時は土葬で、何年か後に骨上げをして
壷に入れ、旦那寺に納骨、仏事は全て母が行った。
母の兄(私の叔父)一家は、満州で生死不明になっていた。祖母が可哀そうだというので
実家には弟がいるので、私が母方の祖母の籍に入って母の旧姓・前田を名乗った。
それで、私が喪主ということになったのだ。
と言っても、中学までは、担任の先生や友人にはキッコ、キクチャンと呼ばれていた。
だから、私の姓が変わったのは、ほとんどだれも気にしていなかった。
熊本市内の高校に進学してから、担任の先生や同級生に、両親と姓が違うのを説明する
必要があったけど。高校・大学・就職も祖母の姓で過ごし、結婚して今の姓になった。